とうきょうエコ・コレクション

 

 

 2015年、気候変動枠組条約締約国会議(COP)にて、「世界平均気温の上昇を産業化以前と比較して2℃より十分低く抑え(2℃目標)、さらに1.5℃未満に抑える努力を追及する(1.5℃目標)」ことを合意する「パリ協定」が採択された。今世界はその目標達成のため、再生可能エネルギーの利用を増やし、CO2の吸収源となる森林の保全に努め、そして「脱炭素」を掲げる様々なイノベーションの創出へ向けて動き始めている。

 

 そうした中、2018年に国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)より「1.5℃」目標に関する特別報告書が発表された。IPCCでは、世界の科学者が発表する論文や観測・予測データから、政府の推薦などで選ばれた専門家が気候変動に関する報告書をまとめていて、先のCOPの議論などのベースになる知見として活用されている。

 

そしてなぜ、このタイミングでIPCCは「1.5℃目標」に関する報告書を発表したのか?

 

 世界は既に産業化以前に比べ約1℃上昇しているが、こうした地球温暖化の進行によって既に受け入れられない悪影響を受けている人々がいる。それは干ばつの増加や生態系の変化、海面上昇、嵐の激化などで生活基盤を失っている発展途上国の人々であり、そして毎年の豪雨や台風、そして酷暑に見舞われている我々日本人である。こうした既に出ている影響に対し、1.5℃の気温上昇でもリスクが増大し、2℃上昇すればさらに深刻化することを忘れてはならない。

 

 また先の特別報告書では、この「1.5℃目標」の達成のためには、これから2030年までの10年の間に、我々の社会や経済、そして一人ひとりのライフスタイルがどれだけ「脱炭素化」できるか、が一つのターニングポイントとして語られている。そのため、今既に起きている影響を理解し、将来の影響を予測し、そして影響を最小限に抑えるため、社会・経済のあり方や人々の意識・行動の変化(トランスフォーメーション)が起きる必要がある。

 

 今回のインタビューではそうした「トランスフォーメーション」について、国立環境研究所地球環境研究センター副センター長の江守正多氏にお話を伺った。

これから「1.5℃目標」を達成するためにも、様々な「トランスフォーメーション」

 

――これから「1.5℃目標」を達成するためにも、社会の中で様々な変化が求められると思います。どのようにして、こうした変化は起こるのでしょうか。

 

江守 「どうすれば社会が変化するか」ということについて、確かなことは分かりません。これは「トランスフォーメーション」と呼ばれていて、様々な課題領域で研究されていますが「これをやればトランスフォーメーションする」と断言することはとても難しいと考えています。地球規模でも、そして地域単位でも、様々な出来事が合わさり、結果的に何かをきっかけにして大きな変化が起こると言われています。

 

 例えば最近、「グレタ・トゥーンベリ」さんという人物が現れました。彼女は、スウェーデンのオペラ歌手と俳優の家に、発達障害を抱えて生まれてきました。親も環境活動に熱心だったのかもしれませんが、本人が気候変動について学校で習い、その事実に衝撃を受けて、アクションを開始したそうです。それが今やSNSなどを通して世界中に広がり、昨年ニューヨークで開催された国連気候行動サミットで力強いメッセージを発するなど、世界に大きなインパクトを与えています。これは起こそうと思って起きるムーブメントではない。おそらく、そうした出来事が重なり、社会に変化が生じると考えています。

 

 こうした「トランスフォーメーション」の発生を後押しするためにも、私は少しでも気候変動に関心を持つ人に増えてもらいたいと考え、講演等の情報発信や科学者と一般市民の対話を促進する活動などに取組んでいます。

 

 

――人々の中でどのような関心が増えると、気候変動の解決につながるのでしょうか?

 

江守 ただ気候変動というテーマに興味を持つということよりも、「リアルな関心」を持てることが重要だと考えています。つまり、気候変動がこれからの社会や個々人の生活に対して「本当に問題だ」という実感を伴って関心を持てる方が、実際の対策行動にもつながり、変化を引き起こす確率が上がるイメージを持っています。

 

 日本では、こうした実感を伴って関心を持っている人は比較的少ないのではないでしょうか。先のグレタさんもそうですが、例えばアメリカですと、ハリウッド俳優のレオナルド・デカプリオさんは環境活動に熱心で、自身の俳優活動として世界の気候変動による影響を伝える映画に主演するだけでなく、自宅にソーラーパネルを設置したり、エコカーを所有したりと自身のライフスタイルとしても対策行動に取り組んでいます。気候変動が自身の人生を通した重要なテーマになっているのです。

 

2014年には国連から気候変動を特に重点分野とする「ピース・メッセンジャー」に任命された。
出典:国連広報センター

 

 こうした有名人以外でも、海外では自分の実感や意見にもとづいて行動したり、意見発信したり、ライフスタイルを変化させている人々がたくさんいます。一方、日本ではなかなか芸能人の方々が政治的な意見発信をすることは難しい社会かもしれません。それもあってか、頭ではこの問題を理解していたり、「社会にいいこと」として個々人のできる範囲で取組む人はいるかもしれませんが、問題の緊急性や大きさに実感を持ち、地球規模の課題として「この問題に向き合う人」は比較的少ないですね。近年は、政治家の方々の間でも少しずつそうした意識を持った方が出始めていますが、実感を持って問題と向き合う人々をもっと増やしていくためのコミュニケーションに取り組みたいと考えています。

 

 

――日本では気候変動対策に対するイメージが、どちらかというと否定的に捉えられている様なところもあると思いますが。

 

江守 一つは日本における地球温暖化問題とか、この問題に関する教育が、矮小なスケールでしか語られてこなかった、という要因が働いているように思います。1997年に日本で開催されたCOP3にて「京都議定書」が採択され、そのニュースなどを通して地球温暖化という言葉を知った人もいると思います。ただ世間で「地球温暖化」という言葉がよく使われるようになったのは、もう少し先の話になります。2005年には、環境省から「クール・ビズ」を呼びかけるなど、日本全体として対策行動が取組まれ始めました。そして、2008年から「京都議定書」が発効し、国際社会全体でも各国が協調して問題解決へ向けたプロセスを開始しました。

 

 当時、そうした政府が発していたメッセージや、子供が学校で習ったことは、「こまめに電気を消しましょう」「冷暖房の設定温度に気をつけましょう」「水を出しっ放しにしない」「近距離はできるだけ車に乗らない」といった個別の対策行動ですね。そうした行動内容を知ることも大切なことですが、問題解決に対する人々の認識がそこで止まってしまっていると考えています。それに加えて、そうした行動内容から受ける人々のイメージが比較的ネガティブなものになりやすいのではないかと思います。夏の暑い日にだらだら汗をかきながらエアコンを入れるのを我慢しているとか、それがエコなんだ、というような(笑)。我慢して、辛抱して、それが「地球にいいことすることだ」といったイメージが社会に広がってしまったのかと。

 

世界に比べて日本では、気候変動対策について「多くの場合、生活の質を脅かすものである」と認識している人々の割合が高くなっている。
出典:ゼロ・エミッション東京戦略

 

  「京都議定書」では、排出削減目標として数パーセント(日本は1990年比で6%削減)というレベルだったため、それでも良かったかもしれません。少しの我慢で、電気代など家計も数パーセント助かり、それでCO2の排出量にも個人として貢献できたと思えたことでしょう。しかし現在は、2015年に採択された「パリ協定」にもとづき、今世紀後半(2050年前後)には排出量を「実質ゼロ」にしましょうとなっているわけです。またそれに対する各国の中間的な目標としても、日本は2030年までに26%削減(2005年比)を掲げています。その中で、家庭部門では40%削減することを目指している。これまでの認識が変わらないまま、「40%削減するということは、生活の中で40%分の我慢しなくちゃいけない」と考えてしまう人々も多いのではないでしょうか。

 

 

――人々が気候変動対策に積極的になるためのポイントとは?

 

江守 これもやはり、豪雨・台風・猛暑といった異常気象など気候変動の悪影響を、気候変動の問題として実感している人が少ないことですね。特に2018年、2019年とここ2年間は日本も異常気象が顕著になっていて、少なくとも防災の観点から対策について本格的に考えられ始めています。

 

 こうした異常気象についてテレビの報道では、気象キャスターの方の関心によっては「今後も気候変動が進行すれば、こうした気象の極端化が増えることが予想されます」と、この問題に触れられることもあるかと思います。2018年は、西日本豪雨災害や猛暑、台風21号などの異常気象が発生していましたが、私が見た範囲では、防災の話までは地上波の報道で触れられているのを見ましたが、それから例えば「パリ協定」の話に移ることはあまりなかったと記憶しています。BSでは、そうした報道もありました。つまり、気候変動に関する報道が、特定の興味・関心に合わせた報道というレベルに留まっていて、多くの一般の視聴者が見ている、視聴率を取れなければならないような報道ではまだ、異常気象からパリ協定の話に至っていませんでした。

 

 また非常に象徴的だった出来事が、映画「天気の子」の新海監督のインタビュー内容です。新海監督の話によると、日本のメディアは誰もこの映画について気候変動のことを聞いてこないそうです。一方で、欧米など海外でインタビューを受ける際には、必ず気候変動のことが聞かれるとか。この映画の背景には異常気象に対する問題意識も含まれているそうですが、エンターテイメントとして受け入れられるよう、注意深く作られています。「分かる人には分かる」といった形で作ったら、日本人はまんまと気が付かずに、海外に持っていくとみんな気候変動の話だと気づくということが起きている。それは認識の違いを表す象徴的な出来事だと思いました。

 

 ところがそこから2019年は、台風15号と19号の間にニューヨークでの国連気候行動サミットが開催されて、先のグレタさんのスピーチがあったんですよね。その効果があってか、台風19号の時には、「気候変動が進行するとさらにこんな災害が増えてしまうんじゃないか」といった話に加え、「パリ協定」を踏まえて地球規模での排出削減行動の必要性に触れる報道が出始めてきました。連続して発生した異常気象の影響もあり、日本人の間でも、気候変動の悪影響が実感を伴って自分たちの問題になってきたのではないでしょうか。

 

世界中で”Climate Justice(気候正義)”を訴えるアクションが展開されている。日本でも若者を中心に、渋谷・京都・神戸など全国各地で、こうした倫理観を伝える行動が出始めている。
出典:Global Climate Strike

 

 気候変動の影響は、日本で起きていることだけではありません。例えば中東やアフリカで干ばつが起きて食糧危機に陥っている人々がいたり、バングラディシュで高潮によって住む場所を失う人々がいたり。そんなことが頻繁に起きている。それは確かに自分の身に振りかかっている問題じゃないので自分事として考えるのは難しいことだと思います。ただ、やはりヨーロッパ諸国の倫理観であれば、その問題は主に先進国がこれまで排出したCO2が原因で起きているから自分たちの問題でもあるという理解が、深いレベルで認識され、共有されていると感じています。一方、日本ではそうした実感がまだまだ醸成されていないと私は感じています。

 

 

――日本ではなぜ気候変動が倫理観と結びつかないのでしょうか?

 

江守 こ倫理や規範、あるいは道徳という話は、ともすれば押しつけがましいものとして受け取られやすいものだと思います。何か自分の行いに対して咎められているように感じさせてしまう。価値観は多様なのに、宗教的な信条や「こうでないといけない」という唯一の正しさを押しつけられる感覚を覚えるのかもしれません。そんな話は誰も聞きたくないですし、自分が何を信じるかは自分の自由だと反発したくなりますよね。日本人は、特に倫理観について考えたり、他人と意見を交わすことが苦手だったり、そうした習慣が少ない。だから、型にはまった考え方を押し付けられるように感じ、自分のものさしでその考え方の良し悪しを判断することが難しいのだと思います。そうした感覚を変えていく必要があると感じていて、自分は気候変動の問題を考える立場からアプローチしていきたいと考えています。

 

 また倫理観について、もう一つ、実験的に考えてみたことがあるんです。例えば先進国の人々が排出したCO2が原因となって、途上国で大きな環境被害が起きるということが今実際に起きていて、世界がそうした傾向にあると考えられているわけですよね。だけど先進国の多くの人々にとって、自分の身に起きている影響ではないので心配しようと思っても限度があるとか、優先的に考えることができない。それなら一種の思考実験として、「仮に日本が沈没するとしたらどうしますか?」ということを聞いてみたいと思うんです(笑)。「日本沈没」という作品がありますが、その物語みたいにある日、科学的な予測として日本の国土は何年後かに消滅すると宣告されてしまう。それがもし地殻変動など自然発生的な要因ではなく、もし海外の人々の行動が原因でそうなることが予測されたら、あなたはどうしますか、と。たぶんほとんどの日本人は怒ると思うんですよね。理不尽だと憤る。そんなことはあってたまるか、と思うでしょう。

 

 そして実際にそうなっているのが、さっき申し上げたような干ばつが増える乾燥地域の途上国や、海面上昇や高潮の被害にあう沿岸諸国・小さな島国なんです。そうやって一回想像してみる必要があるんじゃないか、と思います。

 

気候変動の影響は、世界各地で発生している。2018年には死者約5,000名、要緊急援助者約2,890万人が発生したと報じられている
出典:The Guardian

 

 ただ、たぶん多くの人は想像してみた時、「それはもうしょうがないじゃないか、彼らはそこに生まれてきちゃったんだから。我々だって彼らが困ることを知ってCO2を出し続けている訳でもないし、経済を回すためにはCO2を出し続けないといけないんだから」と言うんだと思うんですよね。現在の常識はそうなっていると思います。そこでよく考えるのは、昔は奴隷制があったということ。奴隷制のあった文化圏で、奴隷ではない人がどう考えていたか、ということですよね。

 

 例えば、ある子どもがそのお父さんに「奴隷はかわいそうじゃないの?」って聞いたとすると、お父さんは「しょうがないんだよ、彼らは奴隷に生まれてきちゃったんだ。それに奴隷がいないと経済が回らないんだから」と言っていたんじゃないかと思うんですよね。だけど今は常識が変わって、どこの文化圏でも奴隷制は許されないことになった訳ですよ。どれだけ時間が掛かるか分かりませんが、最終的にはこの「気候正義」のような気候変動の影響に対する倫理観も、同じように世界の常識が変わって、やはり先進国の出した排出によって途上国の人が苦しむのはどう考えてもおかしいという常識が、これまでの主要な排出国側にも共有されていくと考えています。もしかしたら日本人は、世界でそうなってしまったからその新しい常識に従います、と後から変わっていく側になるかもしれませんが。

 

 ただ、奴隷がいなくても経済が回るようになったから奴隷制がなくなったと思うので、気候変動の問題もCO2を排出せずに経済が回るようになれば、その後も排出しようとする人に対してはみんなでNOと言えるようになると思います。「気候正義」は、その方向に今から変化しなければならないというメッセージだと思っています。

 

 

 

 

お問い合わせ

普及連携チーム

電話:03-5990-5065  FAX:03-6279-4697

▲ページTOPへ戻る

Page Top ページの先頭へ